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「ドイツと日本を結ぶもの—日独修好150年の歴史—」(国立歴史民俗博物館)

千葉は佐倉の国立歴史民俗博物館で開催中の「ドイツと日本を結ぶもの—日独修好150年の歴史—」展を観てきた。

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1861年に日本とプロイセンとのあいだで修好通商条約が結ばれる。つまり2011年が150周年にあたり、日独両国でいくつかの行事があった。ドイツではマンハイムで日独交流に関する展覧会が開かれ(図録は雄松堂書店から邦訳されている)たのだが、同様の展覧会を日本でも、ということで、今回の展示となった、とのこと。「日独交流に関するはじめての本格的な歴史展示」(図録「開催にあたって」より)。

プロローグ ドイツと日本を結ぶもの—日独修好150年の歴史—

第1章 プロイセン及びドイツ帝国と幕末維新期の日本

第2章 明治日本とドイツ

第3章 両大戦下の日独関係

第4章 戦後の日本とドイツ

エピローグ 宮古島から見た日独関係史

 両大戦とその後のことは、だいたいの知識はある。今回ぼくが興味をひかれたのは、幕末から明治の、19世紀後半のさまざまな資料だ。修好通商航海条約の条約書・批准書の原本、各種書簡類、そしてプロイセンから日本へ、日本からドイツへ進呈された贈り物。将軍へ贈られたリトファニー・プレート(白磁の板に描かれたドイツ各都市の景観)もおもしろいが、全権公使オイレンブルクが持ち帰った源氏物語写本と、それに添えられた福地源一郎のオランダ語での説明書きが興味深い。福地源一郎はのちに桜痴と号した。当時は通訳をしていたらしい。

OAG、すなわちドイツ東洋文化研究所が1873(明治6)年に設立されたこと、のちに帝国大学総長となる加藤弘之、そして市川兼恭を嚆矢とするドイツ(語)学事始め、明治時代にドイツへ赴いた留学生たち、などなど。駐独公使青木周蔵と娘ハナ、孫娘ヒッサの写真、ハナが水彩で描いた周蔵のポートレート、「青木周蔵とエリザベート・フォン・ラーデの夫婦財産・相続契約書」などは「個人蔵」とあるから、なかなか見ることのできないものだろう。

個人蔵、といえば、貞奴と音二郎のドイツでの公演プログラム、1888年にベルリンで設立された「和独会(独日協会)」のクリスマス会プログラム(1898年)も一見の価値あり。

第一次世界大戦に関しては、ドイツ人捕虜たちの生活を示す写真や催し物パンフ類。第二次世界大戦では、ヒトラー・ユーゲントの日本訪問を映す映像と、それに添えられた北原白秋作詞の曲「万歳ヒトラー・ユーゲント」、同じく映像でリヒャルト・シュトラウス作曲「皇紀2600年奉祝音楽」。前者はまあ勇ましい歌詞だなあ、後者に関してはリヒャルト・シュトラウスはなんでも(うまく)作る人だなあ、という感想。

大戦間期に、有名な製薬会社を興した実業家の星一(ほしはじめ)がドイツに学術振興のための基金を設立していたことを、はじめて知った。星一の長男が星新一。

そして、おお、と思ったのは、最後の「戦後の文化交流」でメインとしてフィーチャーされているのが、演劇研究の岩淵達治先生だったこと…! 留学中の写真や日記、学生証、パスポート、観劇ノートなどが展示されている。岩淵先生を選んだのは、なるほどと思う。ブレヒトを経由して戦後ドイツの状況にも触れられるし。

コンパクトだが充実した内容だった。会期は9月6日(日)まで。そのあと9月から11月まで長崎歴史文化博物館、12月から来年1月まで鳴門市ドイツ館、そして来年2月から4月まで横浜開港資料館に巡回する。