ホンダヨンダメモ/Z

読書メモ。読んだもの観たもの聴いたもの。

ハイレッドセンター展(松濤美術館)

 ハイレッドセンター展を観にいった。下北沢から井の頭線にのって神泉で降り,松濤美術館へ。一昨日からの風がおさまり比較的過ごしやすい気温であり天気でもあり,今日は薄手のコートを羽織ってふわりふわりと歩いたのだったが,ぼくの前を歩くカップルは女性が春らしい薄緑のワンピース,男性は軽やかなネイビーのシャツ一枚という格好で,つないだ手をときたま握り直すことでふたりの関わりをそのつど更新するかのようなのだった。それも含めての,春,ということか。

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 展示は,見終わってたしかな焦点を結ぶ,という類いのものではなかった。けれど,それがあのころの美術のありかたでもあったのだろうし,意味を確定させることから逃れ続けるのが,アンデパンダン展の精神でもあっただろう。これまで折に触れて見てきた,メンバー3人の「行動」の写真なり記録なりを,ひとつひとつ確認していく。そう,クリスト以前に赤瀬川は梱包アートをはじめていたんだよな…。

 展示を巡っていくほどに,美術やアートというものが日常の,普通の,社会において許容される度合いというか,ヘンなものがそのへんにふと現れてもその存在を許す感じが,現在はだいぶ減っている,なくなっているように思えてくる。千円札を「印刷」する芸術は,ネット空間に飛び交う電子の「貨幣」の時代にどんな意味を持つだろうか。「首都圏清掃整理促進運動」のあの出で立ちは,放射能対策の防護服のイメージが目に焼き付いた我々にとって,当時と同じ意味を持ち得ない。ハイレッドセンターの「直接行動」が「古くなった」のではなく,社会の中の「異物」と我々との関係が,決定的に変化してしまったのだ。おそらく,1995年を境として,決定的に。

 図録は,悩んだ末に,買わなかった。