小学六年生の米利(めり)はある日バス停でクラスの男の子昼間くんと会う。昼間くんは転校生で、あまり話したことがない。昼間くんは、ふざけて米利の大切なポーチを汚したのに謝らない男の子に向かって「謝ったほうがいいよ」と言う、そんな子だ。バスの中で何気なく行き先を尋ねると、昼間くんは「それはね、きみは知らないほうがいいと思うよ」と言うのだった。
2015年度産経児童出版文化賞の大賞受賞作品。学校における「いじめ」をテーマとする、シリアスでシビアな作品である。いじめを受ける側の細かな心の動きと「学校」という場のあり方を、岩瀬成子特有の短い文を連ねる乾いた文体が、少しずつノミで世界を削り出すように露わにしていく。
たぶんだれも悪くはないのだ。だれも悪くないから、だからすごく苦しいことが起きてしまうのだ。
いじめる側の無邪気な悪意がリアルに描かれる一方で、じつは「学校」というものそれ自体に「いじめ」は組み込まれている、対すべき闘うべきは「学校」なのだ、という認識がこの作品を貫いている。
学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。
米利の祖母、叔父、そして路上生活者と、社会の周縁部にいる大人たちが出てくる。ある種のファンタジーとして、そのような存在が苦しむ子どもの救いになるという「物語」があるけれど、作者はそんな安易な救い方はしない。米利も昼間くんも、自分の力で前を向くのだ。もがきつつ必死にこの世界のありようについて考えることで、「どこか別の場所」へ向かおうとするのだ。この作品が「児童文学」としてすぐれたものである理由が、そこにある。
長谷川集平の挿絵がすばらしいのは言わずもがなだけれど、登場人物たちの輪郭をさらに際立たせていて、ぼくにとってはもうこの作品において「作」と「絵」は切り離せない、くらいな感じだ…。