ホンダヨンダメモ/Z

読書メモ。読んだもの観たもの聴いたもの。

池内紀先生の訃報

 今、池内紀先生が亡くなったとのニュースが。8月30日に死去、と。78歳。

 

 ぼくは、最近翻訳した2冊とも雑誌などで書評していただいたし、中公新書でこの7月に出たヒトラーに関する本を読んだばかりだったし(ここにも感想を書いた)、ちょっと驚いている。息子の池内恵さんが、その本にかかわるあれこれに応じてツイッターで、父は昨年夏の暑さにやられて急に老け込んでしまった、と書かれていたのを思い出す。

 今年も何冊かの新刊を出されていたのだから、ほんとうに最期まで本を書き続けた人生。いったい何冊の本を書かれたのか。

 大学3年の時に非常勤で来ていた池内先生の授業は、カフカの短編を先生がまずドイツ語で読み上げ、そのあと日本語にしながら解説をする、というものだった。学生はただ聞いているだけ。成績もレポートだったな。あのとき先生は四十代なかばくらいだったのだ。いつも眠そうで、いや時には、おや先生の声が途切れたと思ってよく見ると目を閉じている、しばらくしてふわっと顔を上げ、また話しはじめる、ということもあった。先生は夜中に執筆活動や翻訳などをしている、という噂だった。たしかあの授業の翌年に岩波文庫からカフカ短編集が出たので、ちょうど訳しているところだったのかもしれない。『流刑地にて』はおもしろいものだな、と知ったのはあの授業だった。

 専門にとどまらず、広く文学や芸術に関心を寄せ、温泉や旅行、登山などの著作も多いが、やはりドイツ文学と一般の文学愛好家たちをつなぐという意味で、大切な存在だった。今はそういう独文学者はいないだろう。カネッティ(これは岩田行一先生も)やカール・クラウスは池内先生を通して日本に知られたと言ってよい。

 その翻訳や評論は、良く言えば、正確さよりも先生なりの「文学性」を優先したものだったと思う。ある意味、翻訳も池内紀という文章家の創作活動だったのかもしれない。

 55歳で東大教授を辞めて文筆活動に専念した。今のぼくと同い年の時なのか……。

 吉祥寺のパルコで池内紀と西江雅之のトークイベントを聞いたのは、池内先生の『ことばの哲学 関口存男のこと』(青土社)が出たときだったから、2010年か。話がかみ合っているようないないような、不思議な対談だった。たまにお互いがなじみの喫茶店で顔を合わせる関係だったらしい。池内先生の話をする姿を最後に見たのは、神奈川県立近代美術館・葉山で2012年にやった村山知義展での催し(レクチャー)だった。 

 その西江も、あるいは川村二郎も種村季弘も、丸谷才一も柳瀬尚紀も、もういない。そして今、池内紀もいなくなってしまった。一時的にこの国に存在した、海外文学が豊かな拡がりをもちつつひとつの「教養」として受容された時代は、たぶん(とっくに)終わっている。

 ぼくが最初に読んだ池内本は、たぶんこれ。

『書斎のコロンブス』(冬樹社、1982年)

f:id:hndm64:20190904221038j:plain

「ニューアカ」の時代にちょっとだけ名をはせた冬樹社も、もうとうの昔にない。