ホンダヨンダメモ/Z

読書メモ。読んだもの観たもの聴いたもの。

あまり良い状態ではない

 「遠隔授業」が始まって、ひと月半ほどが過ぎた。早くから始まったところなら、ちょうど半分、といったところ。その前、3月終わりくらいから、「オンライン」での遠隔授業について各大学から雨あられと諸連絡のメールが来はじめ、その混乱ぶりとも相まって、精神的には実際に「授業」が始まるひと月前から、ずっとこのことが頭のなかを占領し続けている感じだった。

 そして6月。「天引き」システムではないフリーランスには、県民税市民税の通知と国民健康保険料の納入通知がやってくる月なのだ。私はそれに加えて、自動車税(これは5月が期限)、クルマの任意保険更新の連絡がやってくる時期にもあたる。つまり、出て行くカネが視覚化されて伸し掛かってくるのである。

 大学の非常勤講師の給料はほんとうに微々たるものだ。そして今期は、毎日ひたすら休みなく、授業資料の準備と、送られてくる提出課題の採点とコメント返送に追われている。時給にしたら、なんて恐ろしくて考えたくもない。それでも、学生の学ぶ場を少しでも良いものにしたいと、つい無理をする。

 しかし、6月。その疲れが出てきたところに、いくつかの憂鬱が重なって、気持ちが少々すさんでいる。正直に言えば、生きるのがイヤになっている。

 ある大学が、遠隔授業について学生にアンケートを採った。それはいい。だが、そのアンケートには「問題のある授業を挙げよ」という設問があり、「あると答えた人は、その内容を具体的に書いてください」という欄があったらしい(事前に知らされてはいない)。そして、その結果が、全教員にたいして公開されたのだ。なんだこれは? 驚いた。しかも、改善したら当局に報告しろと。ありえない。

 ここは小さな大学なので、おそらく当局には「非常勤講師」というものが視野に入っていない。すべてが顔見知りの内輪のものとして進んでいく。ちょっと考えられないだろうけど、コマ数が減るときにも、事前に連絡がない。シラバス執筆依頼がこない、というだけだ。

 あと10年ほどを(それだけ生きていられるとすれば、だが)どうやって生きていくか。その意識が、いつも心の片隅にある。

 

(追記 ツマとムスメの存在にどれだけ助けられているか。いてくれてありがとう、という言葉しか出てはこない。)