ホンダヨンダメモ/Z

読書メモ。読んだもの観たもの聴いたもの。

日々のあれこれ

 気づいたら、もう2か月以上、徒歩圏内から外に出ていない。週に数回、近所に買いものにいくだけの日々だ。散歩するのもままならぬぱぱならぬ。電車に乗ったはいつの日か。

 いや、ほんとに冗談を言っている場合ではない。

 ツマは、在宅勤務が続くときは朝早くに起きて、近所の川沿いを散歩している。そういう人は会社勤めに向いている、と書いたそばから、いやいや村上春樹みたいな人だっているしなあ、と気づいてしまう。

 ツマによれば、緊急事態宣言発出中はジョギングする人(みな格好良いウエアを着ているそうだ)と、寄り集まって話をしているご老人たちが目立ったが、後者は宣言解除後には見かけなくなったとのこと。いったいどこへ行ったのだろう。きっと、ふだん集まっていた場所があるんだろうな。カラオケかな。

 仕事部屋のエアコンが使えないので、梅雨に入ってピンチである。もう25年くらい前のものだが、数年前に水が垂れてきたので、封印した。なぜ買い換えないのか? 部屋のエアコンのある壁のほう半分が、書類と本とガラクタで埋め尽くされているからだ。ある時点で片付けのキャパシティを超え、手がつけられなくなった。なので、そもそもエアコンまで近寄ることができないのである。ここ数年は、ドアを開けて廊下の冷気を扇風機で導入することで凌いできたのだけれど、「遠隔授業」をする人、受ける人の両方がいる今期は、ドアを閉めざるを得ない。というわけで、もうエアコン注文しちゃおうと思っている。片づけてから、はムリだとの判断。行動へ向けて自分を追い込まなければ。

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  どうしてもドアを閉めねばならいのは、授業のための録音をしているときである。窓だって閉めておかないと、救急車のサイレンの音なども録音されてしまう。ところで、自分でも意外だったのだけれども、録音された自分の声を聞くのが、わたしはけっこう好きだ。これは遠隔・配信型授業をしなければ、気づかなかったかもしれない。確認のため、聞き慣れぬ、暗くぼそぼそとつぶやく自分のしゃべりをヘッドフォンで聞いていると、なんだかずっと昔、深夜にやはりヘッドフォンでラジオを聴いていたのを思い出す。自分が好き、というよりも、たぶんそういう記憶に心身が包まれる、その感覚が心地よいのだろうと思う。だからきっと、話す姿までが映像として映されてしまうと、恥ずかしさ嫌悪感がやってくるだろう。

  YouTuberはたぶんムリ。